|
|

2007/1/13
オーナー社長の給与の損金不算入制度の改正
新年明けましておめでとうございます。
2日に、初めて皇居の一般参賀に行って参りました。
厳粛な中に高揚した華やかさがあり、感激いたしました。
日本と日本国天皇の2000年の歴史を目の当りに実感したからでしょう。
ちなみに、今年は皇紀2667年になります。
皇紀は西暦より660年古いと覚えると良いでしょう。
皆様も、せめて一生に一度くらいは行かれることをお勧めいたします。
日本と日本人であることに誇らしさを感じることでしょう。
オーナー社長の給与の損金不算入制度の改正
正式には「特殊支配同族会社の役員給与の損金不算入」ですが、その適用除外要件が、平成19年税制改正大綱で、基準所得金額が800万円以下となっていたものが、1600万円以下と改正されます。
平成19年4月1日以降開始事業年度から適用となり、月額給与にすると約133万円までは従来どおり損金算入されることとなります。
詳しくは事務所まで。

|
|
|

ランチェスターの法則の応用−経営における第2法則の実例
小売業 店舗面積に売り上げが比例する。200坪と100坪の売上高はその2乗比になるので
40000:10000→4:1になる。
建物の階数の影響 同じ200坪でも平屋と2階建てでは面積効果が違うことになります。
平屋 200の2乗で40000 2階建て 100の2乗+100の2乗=20000
(参考 平屋142坪の面積効果=142の2乗=20164)
訪問型営業 特定地域での営業マンの人数に売り上げは比例します。
A社20人、B社10人が同一地域を営業していれば売上高の比は、400:100→4:1

|
|
|

1月1日 太陰太陽暦(旧暦)から太陽暦(新暦)への改暦
1873年(明治6年)
この日の前日は、明治5年12月2日でした。
同年の11月9日、「改暦の詔書」が発せられました。
改暦の理由は海外との貿易などで、旧暦のままでは不便ということもありましたが、それよりも切実な理由は財政難でした。
旧暦のままでは閏年があって、13か月分の給料を払わなければなりませんが、太陽暦にすれば12か月分で済むし、この年の12月は2日しかないから12月分の給料は払わなくてすむ、と言う計算でした。
1月早くお正月が来たのですから、給料取りのお役人以外の大多数の人は喜びこそすれ、多分不満はなったことでしょう。

|
|
|

1月3日 第1回紅白歌合戦 1951年(昭和26))
お正月番組として、この日の午後8時から50分間、もちろんテレビはまだなくラジオ放送でした。大晦日にテレビ放送されるようになったのは昭和28年の第4回からです。
ですから、昭和28年は1月3日にラジオで、大晦日にはラジオとテレビでと、2回も紅白歌合戦が放送されました。
第1回目は男女7名づつが出場し、白組が勝ちました。

|
|
|

2007/1/24 電子申告
1月も下旬の歌「お屠蘇気分も吹っ飛んで新年の挨拶もはや遠くなりにけり」
■ 電子申告
従来、税理士が代理で電子申告を行う場合、依頼者の電子署名および電子証明書が必要でしたが、平成19年1月4日から、@上記の場合の依頼者の電子署名および電子証明書、A源泉所得税の聴取高計算書の送信を行う者の電子署名等が不要になりました。
詳しくは事務所まで。

|
|
|

ランチェスターの法則の応用―優勢軍と劣勢軍
第一法則(一騎打戦の法則) 攻撃力=兵力数 X 武器性能
第二法則(間隔戦の法則) 攻撃力=兵力数の2乗 X 武器性能
武器性能が同じならば、兵力数の多いほうが優勢軍、少ないほうが劣勢軍となり、戦い方により勝ち方、あるいは負け方に差が出ることになります。
そこで優勢軍にはその優勢を活かした戦い方があり、劣勢軍はその劣勢を補う戦い方が必要となります。
優勢軍の戦略原則
@間隔戦用の兵器を選ぶ。
A平地で見通しがいい戦場、射程の長い兵器を採用する。
B間隔戦が出来る陣を組む。
C敵とはなれて戦闘する。
劣勢軍の戦略原則
@一騎打ち戦用の兵器を選ぶ。
A発見されにくい峻険、ジャングルを戦場にする。
B一騎打ち戦がしやすい陣形にする。
C敵に肉薄して一騎打ち戦を仕掛ける。

|
|
|

■ 1月21日 ハワイ皇帝カラカウワ一世没 1891年
この10年前の1881年(明治14)3月、世界一週旅行の途上に日本を訪問。
その3月10日の夜、アメリカ人随員を出し抜いて、日本人通訳のみを同伴して、当時皇居がおかれていた赤坂離宮で明治天皇に謁見を乞いました。
不審に思いながらもそれに応じた明治天皇に、皇帝は日本人移民の実現、後継予定者の姪カイウラニ女王と山階宮定麿親王との婚約、日本と協力して太平洋の平和と発展に寄与する、などの協力を求めました。
当時ハワイは、アメリカ人を中心とする白人が土地の75%を、所有観念のないハワイ人からただ同然で買収し、さらに政府の要職も近代化等を進めるために白人に頼らざるを得ない状況でした。
また白人が持ち込んだ性病や天然痘などで、その免疫のないハワイ人は、人口が30万人から5万人に激減しており、まさに王国は滅亡の淵にありました。
そこで、皇帝は密かに、当時目覚しい発展を遂げつつあった独立国たる日本と、「同種族」として同盟あるいは国家連合によるハワイの独立を夢見て、協力と援助を求めてきたのでした。
しかし当時の日本はアメリカと対決するだけの力がなく、移民は1885年に認めましたが、ほかは実現しませんでした。
皇帝の不安は残念ながらその死後、現実のものとなりました。
1893年1月、白人たちは後継女王の醜聞と冤罪をでっち上げ、生命と財産の保護を名目に、米海軍の武力も借りて宮殿と政庁を制圧、王制を廃し共和国とし、1898年にアメリカに併合されました。
この間の経緯は、アメリカの謀略の卑劣さ残酷さを余すところなく、白日の下に晒しました。
それは日本の朝鮮併合は勿論、満州国の建国に比較しても、一片の道義も合法性もない、アメリカ人の強欲さの典型的例で、まさに盗人猛々しい野蛮極まりないものでした。
そしてその後も、その手口はより巧妙に洗練され高度化され、今も続いています。お忘れなく。

|
|
|
|
|