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2007/6/11
類似商号
この時期には珍しく、湿気の多くない、少しひんやりする曇り空。
今年は空梅雨という噂もありますが、来るべきものは来るべき様に、来てもらいたいものだと思っています。
類似商号
新会社法により、目的や商号(会社の名称)が仮に他社とまったく同一でも、本店(住所)が異なれば類似商号に該当しないことになり、目的や商号の決定や選択が楽になりました。
詳しくは事務所まで。

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強者の業界・客層戦略
総合一位、全体一位」を目指して、消費量の多い業界や、客層は勿論のこと、それ以外の業界、客層も満遍なく、幅広く販売し、盲点を作らないようにする。こうすると敵も出にくくなる。
強者の営業戦略
1 卸会社を使って間接販売をする
卸会社を何社も使って、取引店率を高め、市場占有率を高める。場合によっては盲点を作らないように直販もする。
2 販売店を定期的に訪問する
卸会社だけでなく、末端の販売店、小売店を定期的に回り、末端の情報を集める。
3 テレビ公告、新聞広告を利用する
自社商品を最終消費者に直接宣伝し、店舗等への来店を図り、その購入を促す。

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6月5日 ミッドウェイ海戦
1942年(昭和17)
日本軍の快進撃に沈滞しがちな米国民の士気高揚のため日本本土爆撃が計画され、昭和17年4月18日にドゥーリットル海軍中佐指揮するB25、16機が東京、名古屋、神戸などを爆撃。再度の米軍の日本空襲を封じるため、山本連合艦隊長官はミッドウェイ島攻略の準備を進め、陸軍も同調し作戦が実行されました。
この海戦に投入された日本の戦力(空母6 戦艦11 重巡10 軽巡6 駆逐艦53 潜水艦24 飛行機367)は米国( 空母3 戦艦0 重巡7 軽巡1 駆逐艦15 飛行機214 ミッドウェイ基地飛行機115)のほぼ3倍でした。
しかし米軍は日本の暗号を解読し、ミッドウェイ島の東北海上で西北方面から侵攻してくる日本軍を待ち受けていました。6月5日0130に索敵機の発進により始まった海戦は、日本側の数々の不手際と判断ミス、それに不運が重なり、0723に日本側空母3隻が急降下爆撃により被弾大破した時に大勢が決しました。
その時戦艦大和を中心とする主力部隊はその約500海里後方を航行中で、戦果を確認し東へ退避する米軍を補足できず、結局海戦には参加できませんでした。
損害は日本側、空母4、重巡1、駆逐艦4、飛行機285、戦死3064(内搭乗者121)。米軍側、空母1、駆逐艦1、飛行機147、戦死364(内搭乗者210)。壊滅的ではありませんでしたが、完敗でした。ボクシングで言えばスタミナ、テクニック、パンチ力を兼ね備えたチャンピオンが、相手を甘く見て、1ラウンドでラッキーパンチ気味のカウンターを食らいKO負け、といった感じ。
敗戦の原因の主たるものは@戦力の分散と戦艦中心主義、A情報収集と索敵の軽視、B慢心、油断などでしょうか。海軍は「勝って兜の緒を締め」忘れ、負けて「倦土重来を期す」ために、この敗戦の教訓を生かすような作戦は、最後までなかったようです。

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2007/6/25 払い込みがあったことを証する書面
早いもので、夏至も過ぎ、半年が過ぎようとしています。
梅雨入りはしましたが、噂どおり空梅雨なのでしょうか、蒸し暑くはありますが、雨のほうはあんまり降らないようです。
払い込みがあったことを証する書面
従来は、会社設立に際して資本金の払い込みがあったことを証する書面として、銀行の発行する「払込金保管証明書」が必要でしたが、法改正により、通帳のコピーで足りる事になりました。
詳しくは事務所まで。
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強者の財務戦略
1 資金力を背景に、設備投資を続け、原価の引き下げを図る。
2 自社工場、自社ビルを建て、減価償却を通じて、資金の内部留保を図る。
3 新製品の開発を積極的にやる。
4 関係先に出資し、グループ化を図る。
5 必要に応じて、本業周辺の事業会社を[M&A]によりグループ化し、総合一位を目指す。
※注意
1 強者の財務戦略が効果を発揮するのは、自己資本比率が40%以上が必要。
2 「M&A」は強者の戦略なので、弱者は手をつけない。
市場占有率も自己資本比率も低い中小企業が、異業種の会社を買収しても両方ともだめになる。
※参考
「M&A」はMergers & Acquisitionsの略で、意味は「合併と取得(買収)」

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6月25日 朝鮮戦争勃発
1950年(昭和25)
第二次大戦後の米ソ対立の最中、朝鮮半島では北にソ連の後押しを受ける朝鮮民主主義共和国、南に米国の支持する大韓民国が、38度戦を事実上の国境線として対峙。
そうした折、米国国務長官ディーン・アチソンが1950年1月12日、米国が防衛に責任を持てるのは、フィリピンから沖縄、日本、アリューシャン列島を結ぶラインであると発言し、韓国を含めませんでした。
その真意は太平洋の制海権は守るといういう事でしたが、北朝鮮はこれを米国の南朝鮮放棄と、一方的に解釈しスターリンに南進の許可を求め、スターリンは、毛沢東の許可を得ることを条件に承認。
6月25日、北朝鮮は38度線を越えて侵攻開始。
半島南端にまで押し捲られた国連軍を指揮するマッカーサーは、9月15日、北朝鮮軍の背後を突く仁川上陸先戦を成功させ、その勢いで10月20日には中朝国境の鴨緑江まで進撃。
これを見た中国が参戦し激闘が続きましたが、翌年3月半ばごろには、38度戦付近で膠着状態に陥りました。
事態打開のために、マッカーサーは戦前、日本が一大工業地帯を築いていた中国東北地方(満州)からの補給を断つべく、原子爆弾を含む空爆を計画。
しかし、戦闘が中国本土まで拡大し、ソ連を刺激し、引いては欧州情勢にまで影響が及ぶことを危惧したトルーマン大統領は、4月11日マッカーサーを解任しました。
後にマッカーサーは、このときの体験から、「日本の大東亜戦争は、侵略ではなく、主にセキュリティー(防衛、安全)のためだった。」と米国議会で証言しています。
日本のマスコミの大部分は、この事を知っていながら、なぜか一切報道していません。

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