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2007/11/17
特例有限会社(3)
ようやく秋らしくなってきました。
朝晩は秋らしく涼しく、日の暮れるのも秋らしく早くなりました。
周りで、忘年会の話も聞こえるようになりました。
特例有限会社(3)
従来の有限会社の社員の数は50人にまでと制限されていましたが、会社法の施行に伴い、その制限がなくなりました。
その制限の撤廃についてもなんらの法定手続きも必要ありません。
詳しくは事務所まで。

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利益の考え方(2)
〜3種類の利益のおおよその考え方と、具体的な計算〜
1 自己資本に対する利益 他人資本に対する利息と同じぐらいの利率が必要です。
具体的には長期借入金の金利と言うことになります。
現在の日本は低金利ですが、国際比較と言う観点も必要になるだろうと思います。
2 危険に備える利益 総資本に対して見積もる方法と、粗利益に対して見積もる方法とがあります。
どちらにするか、どの程度の危険を負担するかは、業種や規模によって異なりますが、平均で3%と言うのを1つの目安に自社の危険率を考えたらいかがでしょうか。
3 その他の利益 平均以上の合理的経営や、他にない製品やサービス、外部環境の好転による利益など。
いわば本当の利益部分。
(参考文献:竹田陽一著「小さな会社・社長のルール」ほか)

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11月5日 吉田松陰松下村塾を開く
1857年(安政4)
1854年(嘉永7)1月。再来日していたペリー提督の船に乗り込み、アメリカ行きを懇願しましたが失敗し、下田奉行所に自首し、江戸伝馬町牢屋へ、さらに萩に送られ、野山獄で14ヶ月を過ごした後、自宅謹慎となり、実家の杉家に幽囚の身となりました。
当初3畳の幽囚の間で行われていた講義が、評判を聞いて集まってきた人々が増えたので、納屋を改造した塾舎で、この日から講義が始まりました。
その期間は1856年(安政3)から1858年12月までのわずか2年4ヶ月の間に、高杉晋作、伊藤博文ら、幕末から明治維新にかけての多くの人材が育ちました。
安政の大獄で獄死した梅田雲浜が、萩で松蔭と会い、会談したこを重く見た幕府は、長州藩に松蔭を江戸へ送るように命じ、1859年(安政6)5月25日早朝、江戸へ送られました。
種々吟味の後、10月27日死罪の言い渡しとなり、小伝馬町牢内で即日斬首されました。
享年30歳。辞世「身はたとひ武さしの野辺に朽ちぬともとどめおかまし大和魂」

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2007/11/29 特例有限会社(4)
霜月も残すところ後1日となりました。
暑い夏の印象が強く、今年は暖冬かと思いましたら、駆け足で冬が迫っているようです。
雪に、インフルエンザにと例年より早く、猛威に見舞われつつあるようです。
特例有限会社(4)
株式(有限会社の持分)の譲渡
特例有限会社は当然に譲渡制限会社になりますので、株主間での譲渡は自由ですが、株主以外の第3者に譲渡するには、会社の承認が必要になります。
承認しない場合は、会社自身が買い取るか、買取人を指定しなければなりません。
詳しくは事務所まで。
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社長の行動指針(1)
1 強い願望や熱意を持つ
一位を目指す経営はつらく長い道のりです。 倦まず弛まず、坂の上の雲を目指して継続的な努力を続けるにはその推進力として願望、熱意が不可欠となります。
明治維新の先人たちと同様に。
2 朝は7時30分までに出社する
朝の遅い会社は伸びません。
朝の遅い社長や社員は伸びません。
早起きは3文の徳が得られます。
遅ればせながら、私も此処5年ほど8時出社を実践しています。
まだ遅刻が多く完璧ではない性か、目立った徳はまだありません。
しかし、思い立ったが吉日、やる価値はあります。
3 積極的思考の習慣を身につける
問題が発生した時に、いいわけをせずに、まず「出来る」「やれる」と思う。
(参考文献:竹田陽一著「小さな会社・社長のルール」ほか)

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11月25日 三島由紀夫割腹自殺
1970年(昭和45)
この日の午前11時過ぎに、三島由紀夫は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内の東部方面総監部の総監室に、益田兼利総監を「盾の会」のメンバー4名と共に、「優秀な隊員の表彰」の名目で訪門。
談笑し、持参した名刀「関の孫六」を総監が鑑賞し終わり、鞘に収めたのを合図に、総監に飛び掛かり拘束し、人質にとり部屋に篭城。様子を見に来た幕僚8名を日本刀で威嚇、撃退し、自衛隊員とマスコミに対して30分間の演説をする事を認めさせました。
バルコニーから自衛隊の決起と、クーデターを呼びかけるも、マイクを用意しなかった三島の肉声は、野次と事件を取材するヘリコプターの爆音に掻き消されがちで、演説をわずか7分で切り上げました。
「、、諸君の中で一人でも俺と一緒に起つヤツはいないのか、、、一人もいないんだな、、よし、俺は死ぬんだ、憲法改正のために立ち上がらないと言う見極めがついた、自衛隊に対する夢はなくなったんだ。、、、天皇陛下万歳と叫ぶ。(皇居に向かい正座し)天皇陛下万歳!万歳!万歳!」
悲痛な訴えを終え、総監室に戻ったのは午後零時15分頃でした。森田必勝等と恩賜のタバコを喫した後、上半身裸になり「ヤァァッー」気合もろとも短刀を左脇腹につきたて、そのまま右に約13センチ、深さ5センチの割腹を遂げ、森田必勝が介錯に2度失敗する間に、舌を噛み切り、最後は剣道有段者の古賀浩靖の介錯で首を討たれ、絶命しました。
想像するだに凄惨な、壮烈な最期でした。
享年45歳10ヶ月と11日。
三島由紀夫は翌年1月14日の46歳の誕生日に、転生を期していたとする有力な説があります。気になりますか?興味のある方はご連絡ください。

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