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津城俊幸プロフィール
プロフィール ヘッダー
仕事や職場で群れるのが嫌い、と言うより馴染めない。で、公認会計士、税理士の資格が取れたところで、何の見通しもなかったのですが、独立しました。
プロフィール
結果はオーライ、大正解。自分にあった場所を選ぶことが大事と納得。専門馬鹿にならない様に気をつけています。
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ちなみに、星座は蟹、血はA型、RH +。趣味は酒杯片手に読書そして瞑想。最近は、主に芋焼酎です。
公認会計士・税理士 津城俊幸
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2009/10/16
罰金と課徴金

中共政府のチベットやウイグル対象の民族浄化政策を聞くにつけ、彼らの底知れぬ非人間性におぞましさを感じます。
文化大革命で死んだ何千万の人々を食べたというのも頷けるような気がします。


罰金と課徴金
どちらも似たような言葉ですが、罰金は刑事訴訟手続きを経てし裁判により課される刑罰で、課徴金は公正取引委員会等の行政機関から課される行政処分です。
違反内容が悪質な場合等には両方が課されることもあります。
いずれも損金経理が出来ません。従前は国内で課されるものに限られていましたが、平成21年度税制改正により、外国政府から独禁法に相当する課徴金等も損金不算入とされることになりました。

詳しくは事務所まで。


ランチェスター戦略による 社長の経営戦略教室

経営の要点をはっきりっさせる(3)

3 地域対策
どこの地域で1位になるかを決める。戦争でいえば戦場の決定です。
営業の最大範囲を決定する。人数に応じた営業範囲を決めないと、移動時間ばかりが多くなると言うことになりかねません。
それでは営業の密度が薄くなります。

4 販売ルート対策
例えば製造業の場合作った製品をエンドユーザーに届けるための、販売網の作り方をどうするか。
継続して製品が流れていく販売ルートの組み合わせをどうするか。

5 営業対策
自社のおかれた立場、扱い商品に応じて販売網づくりを考える。
卸会社を使うか、小売店に直販するか、エンドユーザーに直販するかなど。
それに合わせた広告対策も必要になります。



(参考文献:竹田陽一著「小さな会社・社長のルール」ほか)



今日はどんな日?

10月7日 中国チベット侵攻
1950年(昭和25)

チベットは1911年(明治44)の辛亥革命を機に自立し、第2次大戦中は中立政策をとりながらも、米英側の中華民国への物資の補給ルート(援蒋ルート)は黙認しました。
大戦後国共内戦に勝利し、1949年に独立宣言した中華人民共和国はチベットの独立を認めず、その併合を画策していました。

1950年(昭和25)6月25日、北朝鮮の南進により勃発した朝鮮戦争に世界の耳目が集まる中、それを待っていたかのように、この日の深夜、宣戦布告もなく中国はチベットへ東部の3方向から侵攻を開始しました。
アメリカと国連は朝鮮戦争に戦力を集中せざるを得ず、英国を通じてインド経由での極秘援助が精一杯で、チベットは屈服しました。
この侵攻とその後の紛争、擾乱によるチベット人の死者は約100万から150万、チベットの人口の約20%に相当すると言うことです。
また寺院の約90%が破壊されたそうです。

これに比し、日本の朝鮮併合は当時の国際条約にのっとった合法的な平和的ものであり、清国(支那)はじめ欧米の列強も何の意義もさしはさみませんでした。
また特権階級(両班)に抑圧され続けていた朝鮮人民の80%以上の人々が「これで4等国民から1等国民になれる。」と歓迎しました。

満州国建国すら、チベット侵攻に比べればはるかに平和的なものでした。
日露戦争後のロシア、中国はじめ各国との条約で認められた満州鉄道等の権益を、度重なる中華民国の条約違反の妨害から守りたい日本と、故国に帰りたいという溥儀(清国最後の皇帝)の希望もあって、それは始められたものでした。
しかし負ければ賊軍で一方的に断罪され、方や中共政府は「チベットの平和的開放」と嘯(うそぶ)き、あらゆる非難を無視し、既成事実を強固にし続けています。



2009/10/30 災害による納税の猶予期間と延滞税の免除

秋の気配が深まってきました。
さすがに半袖シャツだけでは寒く、サマージャケットを引っ張り出しました。


災害による納税の猶予期間と延滞税の免除
災害により総財産の約20%以上の損害が発生した場合で、その発生日から1年以内に納付すべき税金がある場合、災害医がやんだ日から2か月以内に一定の手続きをすれば、本来の納期限から1年以内に限り納税が猶予されます。
さらに納税が困難な状況にあるとの認定を受ければ更に2年、合計3年猶予されます。

詳しくは事務所まで。



ランチェスター戦略による 社長の経営戦略教室

経営の要点をはっきりっさせる(2)

6 客層対策
個人に売るか、会社に売るかを決める。
個人の場合は所得階層をどのレベルにするか。 会社の場合は大、中、小いずれの規模を狙うか。

7 財務対策
自己資金だけでは間に合わないことが多いので、社外からに資金の調達方法を常に考えておく。
資金の効率的な、強みを生かすような配分方法を考える。
一律的な配分はダメ。

8 組織対策
必要な業務を決定し、それぞれに必要な人員を配置し、必要な仕事の内容を決める。
会社の規模や人数、業務内容や、競争相手などとの関係を考えて組織形態を決定する。

(参考文献:竹田陽一著「小さな会社・社長のルール」ほか)



今日はどんな日?

10月26日 韓国大統領朴正煕暗殺事件
1979年(昭和54)
朴正煕は、1911年(明治44)11月4日、日本統治下の朝鮮の慶尚北道で生まれ、満州国軍の新京軍官学校で学び、同校を首席で卒業し、特に選ばれて日本の陸軍士官学校に留学。
その後、高木正雄と改名。
1944年に日本の陸軍士官学校を首席で卒業(57期)し、終戦時は満州国軍中尉でした。

戦後、大韓民国として独立した祖国で陸軍に入り、野戦軍少将だった1961年5月、反日反共の独裁者だった李承晩大統領が退陣に追い込まれた後の混乱に乗ずるように、北朝鮮からの板門店での南北学生会談の呼びかけに呼応し、ソウルを出発した10万人の学生デモを政府は阻止できず、このままでは経済力に勝る北朝鮮に赤化統一されるとの危機感のもとに、軍事クーデターを起こし、デモを鎮圧し、戒厳令をしき事態を収拾し、1962年10月25日に大統領に就任しました。

暗殺犯の金載圭韓国中央情報部長は、普段から大統領にその無能ぶりを叱責されていましたが、この日も秘密宴会場で会食中に、またしても朴正煕大統領から叱責され、ライバルの車智K大統領府警護室長からも批判され、いったん部屋を出た後、戻ってきていきなり2人に2発づつ弾丸を打ち込み射殺(暗殺)しました。

朴正煕は日本による朝鮮統治を高く評価していました。
ある時、日韓の閣僚たちが日本語で会話をしている酒席で、韓国の高官が日本の植民地統治を批判し始めたところ、彼を宥め、「自分は非常に貧しく学校にも行けなかったが、日本人が義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、学校に行けて、成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれ、さらに軍官学校を経て陸軍士官学校に進学し首席で卒業できた。卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。日本の教育は割りと公平だったと思うし、日本の朝鮮統治も感情的に非難するつもりはない、むしろ評価している。」と語ったということです。

また西郷隆盛を尊敬し、「子孫に美田を残さず。」という西郷の言葉を好み、実践しました。
彼の後継者の全斗煥大統領から最近の盧泰愚大統領まで本人や近親者にワイロや不正蓄財等が絶ませんが、彼に関してはそのようなことは皆無のようです。
ある意味で、彼は日本の伝統的文化・教育の正統な後継者の一人だったと言えると思います。
朝鮮人は死んでもそれを認めたくないでしょうが。



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