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津城俊幸プロフィール
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仕事や職場で群れるのが嫌い、と言うより馴染めない。で、公認会計士、税理士の資格が取れたところで、何の見通しもなかったのですが、独立しました。
プロフィール
結果はオーライ、大正解。自分にあった場所を選ぶことが大事と納得。専門馬鹿にならない様に気をつけています。
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ちなみに、星座は蟹、血はA型、RH +。趣味は酒杯片手に読書そして瞑想。最近は、主に芋焼酎です。
公認会計士・税理士 津城俊幸
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2010/5/15
給与所得
〜レクレーション費用等で非課税とされるもの〜

連休も終わり、過ごしやすい春5月も半ばを過ぎました。
経済も政治も鬱とおしい事ばかりですが、ここはひとつ各人の奮励努力も必要でしょう。

「さりながら 小鳩の面に 小便」 とはいと憎し。


総収入金額と収入金額との違い
社会通念上一般に行われている会食・旅行・演芸会・運動会などの費用を法人が負担することによる従業員等の受ける経済的利益は原則非課税となります。
ただし、不参加の従業員等に金銭等を支給する場合や、役員の費用のみを負担する場合は、その金銭の支給を受ける従業員等や、費用負担対象の役員だけでなく、それ以外の従業員等も課税されます。


詳しくは事務所まで。


ランチェスター戦略による 社長の経営戦略教室

競ランチェスター第2法則

射程距離の長い兵器を使用しての戦闘に適用される法則が第2法則になります。
甲軍10人と乙軍6人が、射程の長いライフル銃で、戦闘すれば、それぞれの損害は以下の通りになります。

甲軍
10人の内の誰かが狙われる確率は1/10で、それを乙軍の6人から受けるので、被害は1/10×6=6/10

乙軍
6人の内の誰かが狙われる確率は1/6で、それを甲軍の10人から受けるので、被害は1/6×10=10/6
損害の比率は
甲軍の損害:乙軍の損害=6/10:10/6=36/60:100/60=36:100

攻撃力はその反対になるので
甲軍:乙軍=100:36 つまりそれぞれの兵力数の2乗比になります。

乙軍が全滅するときに甲軍は何名残るか
10の2乗-Xの2乗=6の2乗-0の2乗  100-Xの2乗=36-0  Xの2乗=100-36=64  X=8

甲軍の残存兵力数=√100-36=√64=8 乙軍の6名が全滅した時、甲軍は8名が残るということになります。
( X=乙軍が全滅した時の甲軍の残存兵数、0の2乗=乙軍は全滅するとの前提により)

(参考文献:竹田陽一著「ランチェスター 中小企業の成功戦略」ほか)



今日はどんな日?

5月15日 沖縄本土復帰
1972年(昭和42年)

日本は、大東亜戦争の敗北により米国を中心とする連合国の占領下におかれ、1952年(昭和27)4月28日のサンフランシスコ講和条約の発効後も沖縄、奄美諸島、小笠原諸島は米国の統治下にありました。

1953年(昭和28)12月25日、奄美諸島は日本に返還されましたが、沖縄はその地政学的理由から返還が見送られました。
その後もライシャワー大使等が、ケネディー大統領やその後継者のジョンソン大統領に沖縄返還をアドバイスしましたが、全く顧慮されませんでした。当時はベトナム戦争真っ盛りの時期で、ジョンソン大統領は北爆を拡大するなど戦力増強を続け、沖縄をはじめとして日本がその後方支援基地的役割を果たすなど、米国の世界戦略に欠かせない重要拠点でしたから沖縄返還はその眼中にありませんでした。

その後、泥沼化したベトナム戦争の終結と米軍のベトナムからの撤退を公約に掲げて大統領となったニクソンは、ベトナム戦争の終結を見越して、米軍基地の従来通りの継続的使用を前提とした沖縄返還を認めることとなりました。
この裏には当時の日本の佐藤総理大臣の、沖縄復帰にかける決意と執念を、身近に感じた米国の交渉担当の高官の、「彼(佐藤総理)は本気だ。」との情報が最後の決め手になったとする意見があります。国家間の交渉も、結局は国力や権謀術数だけではなく、交渉担当者、あるいは国家の最高責任者の人間力が決め手になるということでしょうか。

核をめぐる秘密協定や、拡大解釈などの問題を抱えながらも、この日、沖縄は本土復帰しました。復帰記念式典で、佐藤総理は感極まり何度も言葉を詰まらせながら、涙を禁じえませんでした。現職のときは不評でしたが、のちにノーベル平和賞を受賞するなどし評価は上がりつつあるようです。
少なくとも鳩山総理よりは格段に、国益と安全保障信頼に関して、信頼できる総理だったと思います。鳩山総理と比較すること自体が佐藤総理に対して失礼かもしれませんが。



2010/5/31 給与所得
〜レクレーション費用等で非課税とされるもの〜


人だれしも持つ卑しいエゴを刺激し、その本然の生理的・本能的な快感を貶めて良いことはありません。
前者はあっても密やかに、後者は人間らしく優雅に。
政治家は前者の理論化に長け、後者の高質化・政策化に疎いようです。

給与所得
〜レクレーション費用等で非課税とされるもの〜

レクレーションのために行われる旅行については、その目的・参加割合・費用な負担額・負担割合などを総合的に勘案して経済的利益の有無を判断しますが、次のすべての条件を満たしていれば、原則非課税となります。
@所要期間が四泊五日(海外旅行の場合は現地での期間)以内。A参加割合が50%以上。

詳しくは事務所まで。



ランチェスター戦略による 社長の経営戦略教室

ランチェスター戦略の実例

1 アメリカのゼロ戦対策
大東亜戦争の初期のころはゼロ戦の性能やパイロットの技量が米国より勝っていたので、数学者や物理学者等を集めて、ゼロ戦対策を研究し、その結果ゼロ戦1機に対して、3機で対戦する戦法を編み出しました。
これだと第2法則により日米の攻撃力の比は1:9になり米軍のほうが圧倒的有利になりました。被害の出方はその反対になりますから、日本は米軍の9倍(約10倍)の損害を出すことになりました。

2 沖縄戦
米軍は日本の2.73倍の兵力で上陸して来ました。
戦艦等の艦砲射撃、空母艦載機による空爆等も含めると約4倍の兵力になりました。
日米の攻撃力の比は:16で、これでは話になりません。
それに先立つ。グワム、サイパン島も同様でした。
このような射程距離の長い兵器を持つ敵と戦うには、ゲリラ戦による接近戦しか勝ち目はありません。
硫黄島の栗林忠道中将の戦い方を徹底すべきでした。


(参考文献:竹田陽一著「ランチェスター 中小企業の成功戦略」ほか)



今日はどんな日?

5月25日 楠木正成 湊川に死す
1336年(延元元年)
1334年、鎌倉の執権北条氏を打ち滅ぼし、後醍醐天皇は天皇親政を始めましたが、少数の側近的な上級貴族による政治は、その能力を欠き、朝令暮改に明け暮れ、世の支持は次第に建武新政を離れて行きました。

建武政権樹立の立役者の一人でもある足利尊氏は、源氏の棟梁としての血統の正しさもあり、次第に武士階級の支持を集め始め、独自の訴訟処理や、恩賞の授与などを行ったりして、建武政権から離反。
後醍醐天皇の追討令に呼応した新田義貞、楠木正成らとの戦いに一旦は敗れて九州へ逃れましたが、半年ほどで九州を制覇し約5万の軍勢を率いて東上して来ました。
新田義貞はこれを迎え撃つべく、兵庫に陣を敷き待ち受けました。

正成は、聖上からの兵庫出兵命に対し「優勢なる尊氏軍との激突を避け、新田義貞軍を呼び戻し、聖上の比叡山行幸(退避)の守護とせしめ、自分は河内方面の山岳に拠り、もって尊氏軍を京都に引き入れ、その糧道を断ち、その弱体化を待って南北より挟撃する。」との、守るに難く攻めるに易い京都の弱点を踏まえた献策をしましたが、入れられませんでした。

正成は700騎を率いて兵庫へ向かい、湊川の右岸(西側)に布陣(新田軍は川向うの左岸(東側))し尊氏軍を迎え撃ちました。
水軍を持つ尊氏軍は新田軍のさらに東方を目指し海上から進撃し、退路を断たれることを恐れた新田軍は川向うの楠木軍を置き去りにしたまま東方へ退避しました。

正成は湊川の戦いは勝つことではなく、聖上の守護のための防戦であることを予め新田義貞に説き、此のことを予想しており、新田軍の退避を援護するために奮戦し、遠ざかる新田軍に最後の別れを告げた時には、残りは僅か73騎でした。

この日の夕刻、弟の正季と近くの民家に逃れ「七度生まれ変わり、朝敵を滅ぼしたいものだ。」とお互いに語り合い、哄笑し、刺し違えて自刃しました。
この正成の生様・死様が、幕末から明治維新にかけての志士達の一つの理想像となりました。死を恐れぬ者は強い。
「金も名誉も命もいらぬと言う人は困ったものなり。しかしかかる人でなければ事は成らじ。」とは西郷隆盛の言。そして彼は朝敵・賊軍の汚名を着て自刃しました。彼は靖国神社には祀られていないそうです。



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