公認会計士・津城俊幸のブログ ヘッダー2
津城俊幸プロフィール
プロフィール ヘッダー
仕事や職場で群れるのが嫌い、と言うより馴染めない。で、公認会計士、税理士の資格が取れたところで、何の見通しもなかったのですが、独立しました。
プロフィール
結果はオーライ、大正解。自分にあった場所を選ぶことが大事と納得。専門馬鹿にならない様に気をつけています。
プロフィール
ちなみに、星座は蟹、血はA型、RH +。趣味は酒杯片手に読書そして瞑想。最近は、主に芋焼酎です。
公認会計士・税理士 津城俊幸
プロフィール フッター
バックナンバー
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー9月
2016年 9月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー8月
2016年 8月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー7月
2016年 7月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー6月
2016年 6月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー5月
2016年 5月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー4月
2016年 4月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー3月
2016年 3月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー2月
2016年 2月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー1月
2016年 1月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー12月
2015年 12月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー11月
2015年 11月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー10月
2015年 10月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー9月
2015年 9月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー8月
2015年 8月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー7月
2015年 7月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー6月
2015年 6月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー5月
2015年 5月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー4月
2015年 4月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー2月
2015年 2月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー1月
2015年 1月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー12月
2014年 12月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー11月
2014年 11月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー10月
2014年 10月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー9月
2014年 9月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー8月
2014年 8月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー7月
2014年 7月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー6月
2014年 6月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー5月
2014年 5月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー4月
2014年 4月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー3月
2014年 3月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー2月
2014年 2月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー1月
2014年 1月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー12月
2013年 12月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー11月
2013年 11月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー9月
2013年 9月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー8月
2013年 8月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー7月
2013年 7月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー6月
2013年 6月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー5月
2013年 5月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー4月
2013年 4月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー3月
2013年 3月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー2月
2013年 2月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー1月
2013年 1月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー12月
2012年 12月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー11月
2012年 11月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー10月
2012年 10月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー9月
2012年 9月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー8月
2012年 8月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー7月
2012年 7月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー6月
2012年 6月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー5月
2012年 5月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー4月
2012年 4月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー2月
2012年 2月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー1月
2012年 1月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー12月
2011年 12月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー11月
2011年 11月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー10月
2011年 10月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー9月
2011年 9月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー8月
2011年 8月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー7月
2011年 7月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー6月
2011年 6月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー5月
2011年 5月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー4月
2011年 4月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー1月
2011年 3月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー1月
2011年 2月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー1月
2011年 1月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー12月
2010年 12月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー11月
2010年 11月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー10月
2010年 10月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー9月
2010年 9月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー8月
2010年 8月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー7月
2010年 7月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー6月
2010年 6月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー5月
2010年 5月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー4月
2010年 4月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー3月
2010年 3月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー2月
2010年 2月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー1月
2010年 1月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー12月
2009年 12月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー10月
2009年 10月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー9月
2009年 9月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー8月
2009年 8月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー7月
2009年 7月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー6月
2009年 6月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー5月
2009年 5月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー4月
2009年 4月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー3月
2009年 3月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー2月
2009年 2月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー1月
2009年 1月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー11月
2008年 11月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー9月
2008年 9月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー8月
2008年 8月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー7月
2008年 7月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー6月
2008年 6月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー5月
2008年 5月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー4月
2008年 4月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー3月
2008年 3月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー2月
2008年 2月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー1月
2008年 1月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー11月
2007年 11月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー10月
2007年 10月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー9月
2007年 9月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー8月
2007年 8月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー7月
2007年 7月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー6月
2007年 6月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー5月
2007年 5月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー3月
2007年 3月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー2月
2007年 2月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー12月
2006年 12月
公認会計士・津城俊幸のブログ バックナンバー フッター

2010/9/17
給与所得 交際費等

全くひどい夏でした。
今もその余韻的な暑さが続いていますが、この秋や冬はどうなるのでしょうか。
心して経験し、体感し、記録に値すると思います。
政治・経済状況も同様ですが、、。


給与所得 交際費等
使用者から役員・使用人に交際費や接待費として支給される金品は、原則として、その支給を受ける者の給与とされますが、業務の為に使用すべきものとして支給されるもので、その事績が明らかなものは、交際費等となります。
所謂、渡し切り交際費は給与とされますが、領収書等で清算されるものは給与とはされません。

詳しくは事務所まで。


ランチェスター戦略による 社長の経営戦略教室

市場占有率から見た強者と弱者の区分

スーパー強者の条件

@自分の会社が1位である
A42%以上の市場占有率を確保している
 (メーカーの場合。販売業では26%)
B2位との間に10対6の差をつけていること

市場占有率が42%を超えると実質的に過半数を支配する力を持ったことになります。
こうなると利益率は格段に良くなります。
一人当たりの経常利益は業界平均の4〜6倍になります。

2008年のデータですが乗用車製造業がこのタイプで、トヨタが1位(占有率47%)、2位が日産(占有率16.6%)で、1,2位の割合が約10対4になっています。
日本市場におけるトヨタの牙城は、よっぽどのことがなければ20〜30年は盤石か。

(参考文献:竹田陽一著「ランチェスター 中小企業の成功戦略」ほか)



今日はどんな日?

9月5日 ポーツマス条約調印
1905年(明治38)

1900年(明治33)義和団事変を奇貨とし、事変鎮圧を名目として満州に進駐し、事変解決後も居座り、さらに南下して朝鮮半島を併呑・植民地化する勢いを示すロシアに対して、いわば降りかかる火の粉を振り払うための戦争が日露戦争でした。
1904年2月から始まった日露戦争は1905年1月の旅順陥落、3月の奉天会戦の勝利、5月の日本海海戦の日本大勝利により大勢は決しましたが、国家予算の4倍の20億円の戦費をつぎ込んだ戦争のこれ以上の継続は困難と判断し、日本は、米国大統領セオドア・ルーズベルトの斡旋による講和交渉を、米国東部のニューハプシャー州・ポーツマスで始めました。

ロシアは一地方的な戦闘に負けただけで、戦争に負けたのではないとの立場でしたが、国内的には厭戦気分が蔓延し、戦争の継続は革命すら招きかねない情勢でした。
交渉は難航しましたが、@賠償金なしA南樺太の割譲B南満州鉄道とその付属権益の譲渡を主な内容とする講和条約が、この日調印されました。問題はその後でした。

講和条約の内容を知った米国の鉄道王ハリマンが、すぐさま金のない日本に南満州鉄道の共同経営を持ちかけてきました。
ハリマンは世界一周鉄道の構想を持っており、伊藤博文、桂太郎、渋沢栄一らはこの提案に賛同し仮契約までしましたが、帰国した小村寿太郎が猛反対しました。
日本人が血で贖った権益を掠め取るようなハリマンの提案が許せなかったのは正論ですが、感情論でもありました。

しかしこの一件を契機に、米国に日本に対する警戒心が生まれました。
支那大陸進出を考えていた米国は、勝てるはずのない戦争に勝ち、支那大陸に列強並みの権益を持ち始めた日本が、支那大陸を支配するのではないかと、妄想を膨らませ始めました。妄想は現実的な政策となり、日本を仮想敵国とする海軍の増強を始めました。
日本にはそんな気はサラサラありませんでしたが、、。

歴史の後知恵的な評論になるのでしょうが、小村寿太郎の反対なかりせば、またその反対を押し切ってハリマンとの共同経営が実現していれば後の歴史は変わっていたでしょう。
実現していればロシアやチャイナ(支那)に、連携して対処できたでしょう。

損して得取れという事もあります。
相手にもよりますが、ロシアやチャイナ(支那)は論外ですが、考えていい提案だったと思います。



2010/9/30 給与所得 養老保険の保険料

尖閣諸島近海でのチャイナ(支那)漁船の船長逮捕事件で、彼らの本性が日人の誰の目にもハッキリ分かったのはいい事でした。
少しは目が覚めたでしょう。
菅総理は相変わらず寝ぼけ眼の様ですが。
まさに鈍菅総理というべきか。
目を覚ませ!


給与所得 養老保険の保険料
使用者が、自己を契約者、役員・使用人(使用人等)を被保険者とする養老保険に加入して使用者が払った保険料は、保険金の受取方により使用人等の経済的利益の有無を判定します。
@受取人が使用者―経済的利益なし。
A受取人が使用人等―経済手利益あり。
B死亡保険金の受取人が遺族で、生存保険の受取人が使用者―経済的利益なし。
特定の使用人等のみを被保険者としている場合は支払保険料の半分の経済手利益あり。

詳しくは事務所まで。



ランチェスター戦略による 社長の経営戦略教室

必勝の条件

市場占有率で1位が73.88%の占有率を持つと、実質上100%の支配力を得たのと同じになります。
100-73.88=26.12となり、1位対その他の割合は73.88/26.12=2.828… で約3となります。「3対1」が必勝の条件となります。

これは第2次世界大戦の時に、米国の戦略研究の結果判った事で、米国は実際の上陸作戦、航空戦等にこの法則を適用し戦果をあげました。短期決戦では偶発的なことが重なり予定通りにはいきませんが、敵の3倍の戦力を以ってすれば、必ず勝つという法則です。

これを経営に応用すると、3倍は期間1年ぐらいの短期決戦の時の必勝条件と言うことになります。
期間が3年ぐらいの場合は、偶発的な事が起きてもそれをカバーする時間的な余裕がありますから、3の平方根の1.7倍が必勝条件と言うことになります。
期間が5年ぐらいになると、さらに1.7の平方根の1.3倍が必勝条件となります。

(参考文献:竹田陽一著「ランチェスター 中小企業の成功戦略」ほか)



今日はどんな日?

9月27日 日独伊三国軍事同盟締結
1940年(昭和15)
欧州と、アジアでの指導的立場を確立したい独伊と日本は、下記を主な内容とする軍事同盟をこの日ベルリンで締結しました。

欧州における新秩序建設に関する独伊の指導的立場と、アジアにおける新秩序建設に関する日本の指導的立場を相互に認め、尊重する。

現在交戦中の国以外の第三国から攻撃を受けた場合は、あらゆる政治的軍事的な手段を持って相互に援助する。

当初予定としては、これにソ連を加えた4カ国条約にする構想があり、外相の松岡洋介はモスクワを訪問しソ連のスターリンとの会談にその手応えを得、またドイツの外相リッペントロプも同様な構想を持っていました。
この四カ国が同盟すればユーラシア大陸はその分割支配で安定したことでしょう。
しかし、なぜかヒトラーは1941年16月22日、対ソ戦(バルバロッサ作戦)を開始し、この構想は瓦解しました。

独ソ不可侵条約もあり、ポーランドをドイツと分割支配したばかりスターリンには、侵攻は予想外のことで、容易に信じようとせず、一時かなり動揺したとのことです。
首相の近衛文麿は独ソ戦の開始により、三国同盟の価値はなくなったとし条約の破棄を考えましたが、陸軍の反発を恐れ公表しませんでした。

ヒトラーは日本のソ連攻撃を期待していましたが、日ソ中立条約もあり、同盟条約上もこのような場合の参戦義務はなかったので、ソ連攻撃をせず南方に戦力を振り向けました。
一方ヒトラーは米国との戦争を極力避けていましたが、日本が真珠湾攻撃により1941年12月8日対米宣戦布告すると、参戦義務はないにもかかわらず12月11日対米宣戦布告しました。

歴史のIFですが、日独伊ソ4カ国同盟が締結されていれば世界は変わっていたでしょう。
あるいは日本が対ソ攻撃をしていればモスクワ、スターリングランドは陥落していたことでしょう。
スパイ・ゾルゲの「日本の対ソ参戦なし」の情報により極東軍を対独戦に移動させたのが利きました。


津城俊幸著 小冊子一覧
津城俊幸著 小冊子一覧1
間違いだらけの経営
津城俊幸著 小冊子一覧2
まだ独立はするな!
津城俊幸著 小冊子一覧3
二代目社長の経営学入門
津城俊幸著 小冊子一覧フッター
情報リンク
相互リンクヘッター
津城俊幸 公認会計士・税理士 事務所

マネージメントソフト 有限会社

保険情報NET

有限会社 せきぐち保険事務所
相互リンクフッター
Copyright (C) 2004 - 2010 津城俊幸 公認会計士・税理士 事務所 all Rights Reserved.
Copyright (C) 2007 津城俊幸 公認会計士・税理士 事務所 all Rights Reserved.