ニュースレター   翔牛(しょうぎゅう)   127号  平成23年5月15日 

発行所 津城公認会計士事務所      http://www.cpa−tsushiro.com

TEL03−3654−8130 FAX03−5607−2482   (バックナンバーはHPやブログで見られます) 

ランチェスター戦略による 社長の経営戦略教室  

強者(弱者の反面教師)の戦略に学ぶな(7) 強者は間接販売を重視する

昭和204月からの沖縄戦での米軍の作戦も、基本は徹底的な爆撃、砲撃です。つまり遠方から射程の長い航空機や大砲、ロケット弾による、爆撃、砲撃です。これで自軍の損耗を少なくし、敵には効率的な打撃となります。

同様に、大企業は直接、個別販売ではなく、卸会社を使った間接販売を重視します。その方が大量に、効率的に商品をエンドユーザー(最終消費者)に販売できるからです。

大企業は、総合商社から、全国卸、地域卸などの各種卸会社を使い、万遍なく隙間なく間接販売で商品を流します。

弱者は、知名度もないので、総合商社はおろか全国卸、地域卸でさえ取り扱いません。卸会社は量が少ないとその卸機能を発揮できないので、否応なしに大企業対応になります。

(参考文献:竹田陽一著「ランチェスター 中小企業の成功戦略」ほか)

 税金一口メモ    ごみ処理券と、ごみ袋    (No3160p60)

「ごみ処理券」も「ごみ袋」も、いずれも消費税の課税仕入れですが、その課税仕入れとするタイミングが異なります。前者は、実際にごみ処理券を使って、ごみ収集をして貰った時に役務提供を受けたとして、課税仕入れとなり、後者はごみ袋という物を購入するための対価という事で、購入した時が課税仕入れとなります。詳しくは事務所まで。

雑情報 その1 今日はどんな  5月8日 1942(昭和17)  八田與一五島列島沖にて殉職  

今なお台湾の人々に最も尊敬されている日本人の一人に、八田與一という人がいます。日本ではほとんど知られていませんが、台湾では中学生向けの歴史教科書に、彼の業績と共に詳しく紹介されています。

彼は石川県花園町(現金沢市今町)の生まれで、1910年(明治43)東京帝大工学部土木科を卒業し、台湾総督府内務局土木部に就職。衛生事業、都市の上下水道の整備、発電・灌漑事業等を経験の後、28歳の時当時工事中だった桃園大圳(たいしゅう=灌漑施設)を一任され、成功させ声価を高めました。

蛮地として放置されていた台湾は、日本領となって初めて、土木事業、水利灌漑事業などのインフラ整備が行われましたので、土木工学専門家の彼は大いにその腕をふるいました。

台湾最大の嘉南平野は洪水、塩害、旱魃に悩まされる不毛の大地で、彼はこの地を沃野に変えるには灌漑用のダムと、用水路を作るほかないとして、2年の調査を経て、1920年(大正7)此の大工事を開始し10年後1930(昭和5)、貯水量15300万トン、16000キロの用水路という、当時世界最大規模の灌漑施設を完成させ、今も台湾一の穀倉地帯になっています。総工費は5400万円(現価で約5000億円超)で、全額日本からの持ち出しです。

1942年(昭和17)、陸軍よりフィリピンの灌漑事業の調査依頼があり、部下3人と共に乗り込み、フィリピンに向かった大洋丸が、この日五島列島沖で米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没し、八田は逃れる術もなく殉職。享年58歳。贈正4位勲3等。

今年も彼の命日の5月8日、八田與一記念公園の完成記念式典も兼ねた慰霊祭が、馬英九総統、森喜朗元首相(石川県選出)も参加して、粛々たる中にも盛大に挙行されました。これからも、日台の友好親善の大きな絆としたいものです。

 

その2 彼は言った、、、 「ラ・ロシュフコー箴言集」より

この世で、最も幸せな人は、僅かなもので満足できる人だから、その意味では、幸福にするために無限の富の集積が必要な王侯や野心家たちは、最も惨めな人たちである。

狡知は少知に過ぎない。

 

編集後記あるいは近況報告・雑感 (ご不用の方はお申し出くださいます様、お願い致します。)

鳩山由紀夫的な世間知らずのバカ殿、菅直人的な左翼かぶれの学生自治会長、小沢一郎的な背広姿のゴロツキ、の様な人を指導者とするしかないのかと思うと、泣けてきます。戦後民主主義教育の悪の花咲く季節の始まりか。