ニュースレター   翔牛(しょうぎゅう)  81号   平成21年5月31日 

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ランチェスター戦略による 社長の経営戦略教室  

中小企業の経営者はなぜ迷うのか、なぜ間違うのか**強者の戦略がなぜ常識になっているのか

 

1 大学で教え、講演会で話され、書籍に書かれているのは、ほとんどが大会社のための強者の戦略と具体例

2 中小企業(弱者)に合った戦略を一から系統立てて教えている所がない

3 中小企業(弱者)に合った戦略を一から系統立てて編集した学習テープ、DVD,書籍がほとんど無い

4 人間はもともと自己中心的で、自分を例外にしたがる悪い癖がある

5 そもそも自社が弱者と思っていないし、思いたくもないし、言ってくれる人もいない

6 大脳生理学的に、間違って信じ込んだことを治すのは、何も知らない人に1から教えるより3〜5倍時間がかかる

    (参考文献:竹田陽一著「小さな会社・社長のルール」ほか)

 税金一口メモ  控除と減算  

控除は、所得税の各種控除のように、AからBを引いた残りの金額がマイナスとなった場合、ゼロを限度とし、マイナスは切り捨てられます。一方減算は、AからBを引いた残りの金額がマイナスとなった場合、ゼロを限度とせず、そのマイナスの金額を所得の計算に反映させることになります。詳しくは事務所まで。

雑情報 その1 今日はどんな日 521日 1928年(昭和3) 野口英世アクラにて客死

1歳の時に囲炉裏に落ちて、左手に大火傷をして貧困のため医者にかかれず、指が癒着してしまい百姓が出来なくなり、学問で身を立てるしかないと母親に諭され勉学にはげみました。1891年(明治24)同級生らの募金により手の手術を受け、何とか左手が使えるようになり、その時の感動が彼を医者へと駆り立てました。

1897年(明治30)普通10年かかると言われた医師免許わずか4年程で取得(21歳)するも、開業するほどの資金もなく、順天堂病院の助手や北里伝染病研究所の図書係などをしましたが、学閥、門閥の壁に閉塞感を感じて、渡米の機会を窺っていましたが、ようやく1900年(明治33)北里柴三郎の紹介状を得て、米国ペンシルベニア大学の助手として採用され、ここで毒蛇の研究が注目され、1904年(明治37)ロックフェラー医学研究所に移り、梅毒スピロヘータの純粋培養に成功(現在では純粋と言えるレベルではなかったとされています。)、一躍世界的な注目を集めることになりました。

英世の研究スタイルは、予想される実験パターンを、寝る間も惜しんで完璧に実行し、そこから得られる膨大な実験データを分析するという実践派でした。またそのスピードと正確さは他に抜きん出ていました。

黄熱病の研究でガーナのアクラに赴き、いつものように膨大なサンプルを採集しあるいは培養し、それを顕微鏡で調べるという作業に没頭しましたが、実は黄熱病の病原菌は、細菌よりもさらに微小なウイルスで、顕微鏡で見えるものではありませんでした。コッホ以来、感染症は寄生虫か細菌よるというのが当時の常識で、ウイルスのようなものは想定もされていませんでした。

「どうも私には分からない、、。」黄熱病に自らも感染してしまった英世のこの最後の言葉は、病原菌の研究が細菌からウイルスへと移行する以前の、苦闘する研究者の悲痛な、絶望的な喘ぎのように聞こえます。享年53歳。英世の一生は、そのほとんどが、勉学と研究に明け暮れるまさに疾風怒濤の人生でした。彼の精神と生き様を後世に伝えて行きたいものです。

その2 彼は言った、、、 ラ・ロシュフコー箴言集より

人間一般を知ることは、一人の人間を知るよりたやすい。

傑出した資質を持っているからその人は偉いと考えてはならない。彼がそれの資質をどう生かせるかを見るべきである

自分が欲することについて完全な知識があったら、我々はめったに何かを熱望したりしないだろう

 編集後記 (ご不要の方は、ご連絡下さいます様お願い申し上げます。バックナンバーご希望の方はお申し出下さい)

梅雨の前触れのようなはっきりしない天気が、最近多い様な気がします。あっという間に5月も終わりました。それにしても、黄金週間は長すぎると思いませか。