ニュースレター   翔牛(しょうぎゅう)  94号  平成21年12月16日 

発行所 津城公認会計士事務所     http://www.cpa−tsushiro.com

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ランチェスター戦略による 社長の経営戦略教室  

経営の要点をはっきりっさせる(7)

リーダーシップ

社長は会社の総責任者として、軍隊でいえば総司令官として、時には現場の第一線の指揮官として強力なシーダーシップを発揮しなければなりません。強将のもとに弱卒なしといいますが、普通の兵隊でよく強敵を倒すのがリーダーの役割であり醍醐味です。

経営のツボを押さえる

人の体にはツボがあり、そのツボを気を入れて押すと体がほぐれ、疲れが取れ、体力が回復し活性化します。会社もある意味肉体と同様に組織体ですから、ツボがいくつかあります。

経営のツボ(ハード) 顧客対策 商品対策 地域対策 販売ルート対策 営業対策 客層対策 財務対策 

組織対策  時間対策

経営のソフト(気)  情報対策 革新対策 競争対策 リーダーシップ対策

(参考文献:竹田陽一著「中小企業の成功戦略」ほか)

 税金一口メモ  事業所得と雑所得  

事業所得は「自己の計算と危険において独立して営まれ、営利性、有償性を有し且つ反復継続して追行する意志と社会的地位とが客観的に認められる業務から生ずる所得。」とされており、赤字が発生した場合は損益通算ができるので、それができない雑所得との境界線が問題になることがあります。作家の原稿料は事業所得ですが、サラリーマン等が一時的に執筆して得た原稿料などは雑所得となります。詳しくは事務所まで。(3093.69)

雑情報 その1 今日はどんな日  12月4日 1961年(昭和36)津田左右吉死す 

津田左右吉は1873年(明治6)岐阜県に生まれ、東京専門学校(早稲田大学)を卒業後、邪馬台国九州説の提唱者、白鳥庫吉の指導を受け、早稲田大学教授となり、後に彼の人生と日本を揺るがすことになる「神代史の新しい研究」1913年(大正2)、「神代史の研究」1924(大正13)を発行しました。それは、当時歴史学界で主流となりつつあった、近代的実証主義を神武天皇以前の神代史の研究に適用しようとするものでした。

これを発行後15年も経過した1936年(昭和14)に、一部学者らが皇国史観を貶める大逆的思想だとして猛烈な攻撃を加え始め、政府も翌昭和15年これらを含む4冊を発禁処分にし、さらに訴追され、昭和17年禁錮3カ月、執行猶予2年の有罪となりました。当時の世情からすれば意外に軽い判決という気がします。さすがに裁判官は極端に走りがちな軍人や学者とは違うようです。

戦後は、皇国史観を否定する津田史観として左翼進歩的文化人、特にマルクス主義陣営からは絶大な支持を得て、一躍時代の寵児となり、1947年(昭和22)帝国学士院(同年日本学士院と改名)の会員となり、1949年(昭和24)文化勲章を受賞しました。

しかし彼は天皇制や皇国史観を否定する意図は当初から全くなく、「建国事情と万世一系の思想」を雑誌「世界」(昭和21年発行)に発表し、民主主義と天皇制は矛盾しないとして天皇制維持を擁護し、天皇制廃止論者との論争や、周囲の説得にも、その節を曲げなかったのは明治人の気骨でしょうか。

彼の研究態度は、少しでも疑わしいものは全て否定するという、学者としては荒っぽい、杜撰で緻密さに欠ける所があり、その点を日本史の主流派からは「主観的合理主義」と非難され、左翼陣営からはその「変節」を非難されました。彼はどんな思いで晩年を過ごし、この日を迎えたのでしょうか。

 

その2 彼は言った、、、 ラ・ロシュフコー箴言集より

喧嘩は、片方にしか非がなければ、長くは続かないだろう。

若くても美しくなけらば何にもならないし、美しくても若くなければ何にもならない。

編集後記あるいは近況報告・雑感 (ご不用の方はお申し出くださいます様、お願い致します。)

昨年も不景気の中の年末でしたが、その点は今年も代わり映えしないようです。民主党にしろ自民党にしろこんな政党しか選択対象がないとは何とも歯がゆい限りです。