ニュースレター   翔牛(しょうぎゅう)  99号  平成22年3月16日 

発行所 津城公認会計士事務所     http://www.cpa−tsushiro.com

TEL03−3654−8130 FAX03−5607−2482 (バックナンバーはHPやブログで見られます) 

ランチェスター戦略による 社長の経営戦略教室  

競争勝つための「将軍の術」--その2--

将軍の術の11の分野を経営の場合に置き換えると以下の様になります。

1 攻撃目標たる戦う相手(敵国)を決める  

経営の場合は攻撃目標の会社をはっきりさせる必要があるという事になまります。

2 戦いの大義名分を決める  

経営の場合は経営の目的をハッキリさせ、その意義を明確にし社員に承知させるということになります。

3 敵の情報を集める

経営の場合は競争相手の情報を集めるということになります。

4 兵器の種類と組み合わせをきめる

  経営ではこれは商品の種類と、各商品の質と量を決定するということになります。

5 戦場を決定する 

  寡兵で大軍を破った例を見ると、その勝因の大部分は戦場の地形にあります。経営では販売地域の決定ということになります。

 

(参考文献:竹田陽一著「ランチェスター 中小企業の成功戦略」ほか)

 税金一口メモ    合計所得金額   

上場株式等の譲渡所得などに譲渡損失の繰越控除を適用する場合、繰越控除する前の金額で合計所得金額を判定する事になります。たとえば平成21年に譲渡損失4万円、譲渡所得41万円、配当所得2万円、前年からの繰越譲渡損失が3万円の場合、所得金額は36万円(41+2-4-3)になりますが、合計所得金額は39万円(41+2-4)となり扶養控除や配偶者控除は受けられません。詳しくは事務所まで。(3105.60)

雑情報 その1 今日はどんな  3月3日 1860年(安政7年) 桜田門外の変 大老井伊直助暗殺 

1853年(嘉永6)のペリーが軍艦4隻を率い開国をせまり、翌1854年の日米和親条約により鎖国を解き開国することとなりました。その後も武力をちらつかせながら通商を求めてくる米国等に対して、開国を主張するものと、断固攘夷と譲らない両派が国を2分して争う事態となりました。

井伊直弼は第11代彦根藩主井伊直中の14男として生まれ、32歳まで養子先もなく部屋住みの身でしたが兄たちが次々に病死したりして、ペリー来航の3年前の1850年に第15代彦根藩主に就任しました。攘夷と開国の争いは、幕府と朝廷の間だけではなく、幕府内部にも存在し主導権争いは混迷を深めて行きました。1958年、江戸城溜間(名門譜代大名の控の間)筆頭であった井伊直弼は、開国派の老中などの政治工作により、4月23日大老に就任し、同年6月18日朝廷の勅許を得ないまま、日米修好通商条約を締結しました。

これに反発した水戸浪士らが朝廷に働きかけ、井伊直弼排除の孝明天皇の密勅が水戸藩に下り、この前代未聞の朝廷の武家政治に対する干渉に態度を硬化させた直弼は水戸藩に密勅の返納を命じるとともに、この1件の関係者の詮索を命じ、ここに所謂「安政の大獄」が断行され反対派は徹底的に粛清され多くの志士が獄死あるいは刑死し、公家、大名、幕府閣僚も左遷、蟄居させられました。

この日、襲撃を予告する情報がありましたが、あえて警備を増やさなかった途城途中の直弼を水戸浪士らが襲い、惨殺し頸まで刎ねました。幕末の動乱はこの後も続き、この8年後の1868年9月8日に明治と改元されるまで続きました。幕末から明治維新にかけての疾風怒濤の、多くの血が流された貴重な歴史を教訓としたいものです。水戸と彦根は敵同士となりましたが、110年後の1970年にようやく親善都市提携を結びました。

その2 彼は言った、、、 ラ・ロシュフコー箴言集より

小さいことに向く才能を作る素質は、大きいことをする才能に必要な素質の反対である。

自分がどこまで不幸にならなければならないかを知ることは、一種の幸福である。

編集後記あるいは近況報告・雑感 (ご不用の方はお申し出くださいます様、お願い致します。)

中確定申告が終わり例年同様、春の気配が濃厚になってきました。1年中で一番ほっとする時かもしれません。玄関から表に出た時、一句出来ました。「におう春 三番吹いて 彼岸かな」